
焼津市焼津の焼津神社では、8月12日(水)・13日(木)に例大祭「荒祭(あらまつり)」が営まれます。
その勇壮さから「東海一の荒祭」とも呼ばれ、焼津を代表する夏の伝統行事として親しまれています。
焼津神社について
焼津神社は反正天皇4年(西暦409年)の創建と伝わり、1,600年以上にわたって焼津の地を見守ってきました。
祀られているのは、東征の途上でこの地に立ち寄ったとされる日本武尊(やまとたけるのみこと)です。
神社周辺からは同時代のものとみられる祭祀遺跡「宮之腰遺跡」も見つかっており、古くからこの一帯が信仰の中心地であったことがうかがえます。
荒祭とは
荒祭は「神様にもっとも近づける日」とも言われるほど、焼津の人々にとって特別な二日間です。
祭りの中心となる神輿渡御行列は約300年前に始まったと伝えられ、焼津市の文化財「焼津遺産」にも登録されている由緒ある行事です。
「荒祭」という呼び名から荒々しさばかりが注目されがちですが、この「荒」は乱暴という意味ではありません。
飾り気のない、素朴でまっさらな心で神様と向き合うという意味が込められています。
参加者が身にまとう白装束も、日の丸の白と同じく穢れのなさを表すもので、身も心も清めて神様をお迎えする心構えを示すものです。そのため当日は、派手な髪型などを慎むのが習わしとなっています。
祭りを彩る「アンエットン」の掛け声にも、実は深い意味が込められているといいます。
一説には、これは「尊(あな)とう」、すなわち神様を尊く思う気持ちを表す言葉が変化したものだとされています。
明治期にこの国を訪れた文豪ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は焼津をたいそう気に入り、毎年のように夏を過ごしたことで知られていますが、この地に「神様がいる」と語ったという逸話も残っています。
神輿渡御
8月13日に行われる神輿渡御は、荒祭最大の見どころです。
猿田彦や御神子をはじめ30を超える神役によって構成される行列が、2基の神輿とともに市内を練り歩きます。神輿は担ぐ前に1ヶ月以上をかけて丁寧に磨き上げられ、金具を使わず「大廻し」という縄だけで固定されます。
朝10時に神社を出発した神輿は、「アンエットン」の掛け声とともに担ぎ手にあおられながら市内4か所の御旅所を巡り、総距離6.5kmの道のりを経て夜11時頃に神社へ戻ります。
神輿を担ぐ青年たちは「コシカケ」と呼ばれ、その年の当番地区である「年行司」を中心に選ばれます。
現在は1基あたり12人が受け持ちますが、戦後間もない頃までは24人で担がれていたといいます。
渡御は、ふだん本殿にお祀りされている御祭神を、それぞれの町へお迎えして祭事を行うためのものです。
神ころがし
8月12日には、子どもの健やかな成長を願う神事「神ころがし」が執り行われます。
二人一組の神社総代が赤ちゃんを抱き、「アンエットン」の掛け声とともに3度回すという神事で、この時の泣き声が大きいほど丈夫に育つと言い伝えられています。
地域の親子連れで賑わう、荒祭のもう一つの見どころです。
四大神役
神輿の前後には数多くの神役が連なりますが、なかでも「猿田彦」「御神子(いちっこ)」「御供捧(おんくささげ)」「流鏑馬(やぶさめ)」の4つは「四大神役」と呼ばれ、毎年多くの希望者の中から抽選で選ばれるほどの名誉ある役目とされています。
猿田彦

神輿の通り道から邪気を祓うため、社宝の面をつけて行列を先導する役です。面をつけることから「オメンサン」とも呼ばれます。務める青年は8月1日から12日まで神社に泊まり込み、毎朝海に入って身を清めてから役に臨みます。
御神子

「いちっこ」と呼ばれる小学生の女の子が務める役です。最後の御旅所で行われる神事において、けがれのない姿と所作で人々の心を清め、神様の力を分けていただく大切な役割を担います。
御供捧

御神子と同じく少女が務める役で、日本武尊が漂流したという言い伝えの残る御旅所において、人々を代表して神様へ神饌を捧げます。この神事は荒祭のクライマックスの一つとされ、本番に向けて祭式の作法を何度も練習します。
流鏑馬

青竹で作った御神矢を掲げて馬を駆り、町に災いのないことを祈願する役です。江戸時代には代々村岡家がこの役を務め、なかでも名手として知られた「カネタカ」という人物にちなんで、今も流鏑馬役は別名「カネタカ」と呼ばれることがあります。もとは大人が務める役でしたが、昭和40年頃から少年が務めるようになりました。
なお、御神子と御供捧はいずれも神様に仕える役であることから、お清めのために茅萱(ちがや)と和紙で作った輪を身につけます。
荒祭を支える人々
荒祭は、一区藤組・二区竹組・三区柳組・四区桜組という4つの地区の祭典委員(青年・中老)によって運営されています。
持ち回りでその年の当番を担う地区は「年行司(ねんぎょうじ)」と呼ばれ、年行司を中心に4地区が力を合わせて祭りを作り上げます。準備は祭りが終わった翌9月から早くも始まり、翌年の年行司を中心に1年をかけて話し合いが重ねられます。
祭典委員だけでなく、獅子木遣りの唄と所作を継承する獅子木遣り保存会、神輿を縛る大廻しの技術を伝える大廻し保存会、神輿や御神宝の手入れを担う神宝保存会など、数多くの団体・人々の奉仕によって、この伝統は今日まで受け継がれています。
神楽(舞)
お祭りの期間中には、3種類の神楽(舞)が舞姫の手によって御神前に奉納されます。
| 舞の名称 | 対象 | 人数 |
|---|---|---|
| 乙女の舞 | 小学4年生 | 6名 |
| 浦安の舞 | 小学6年生 | 6名 |
| 青垣の舞 | 高校3年生 | 4名 |
奉仕を希望する場合は社務所へ申し込みができ、0歳から登録可能です。ただし希望者多数の場合は選考となりますので、あらかじめご了承ください。
大廻し

焼津神社の神輿は、屋根・胴・担ぎ棒が金具でつながれておらず、「大廻し」と呼ばれる麻縄だけで結び固められています。金具では神輿を担いだ際の衝撃に耐えられず折れてしまいますが、縄であれば衝撃を吸収できるためです。
命綱を扱う船上の作業と同じく、ロープはしっかり締まっていながら、必要な時にはすぐにほどけなければ命に関わります。大廻しには、焼津の漁師たちが海の上で培ってきたロープワークの技術と知恵が凝縮されているのです。同じ技術は、社殿の鈴緒の網にも生かされています。
獅子木遣り

渡御行列の先頭を歩き、華やかな彩りと柔らかな歌声を添えるのが、手古舞姿の「獅子木遣り」の少女たちです。木遣りとは、重い木材などを大勢で運ぶ際にかけ声とともにうたわれた作業歌のことで、のちに祝いの意味を持つ祭礼歌としても歌われるようになりました。焼津の港から江戸・深川へ木材を積み出す際にうたわれていたものが、江戸時代中頃、荒祭の中に取り入れられたと伝えられています。
明治40年、焼津出身の見原貞吉氏が雌雄一対の獅子頭を奉納したことをきっかけに、この獅子頭を先導役として担ぐ「獅子木遣り」が始まりました。今ではこの行列と唄は静岡県指定無形民俗文化財にも指定されており、焼津を代表する文化として大切に受け継がれています。
参加できるのは小学生以上の女児で、練習に参加でき行進できる脚力があれば学年は問いません。毎年6月になると、焼津市内の全自治会を通じて参加者が募集されます。
お申し込み・お問い合せ
獅子木遣り保存会事務局 電話:054-628-2444(焼津神社内)
焼津市歴史民俗資料館 電話:054-629-6847
「焼津神社の獅子木遣り」を紹介する映像は、地域文化資産ポータルで見ることができます。
震災を乗り越えた「荒」の心
平成21年、お祭りの前日に駿河湾を震源とする地震が発生し、焼津の町は震度6弱の揺れに見舞われました。境内の灯籠や石垣が崩れ、開催そのものが危ぶまれる事態となりましたが、重機の手配が間に合わないなか、地域の人々が声をかけ合って自然と神社に集まり、手作業で修繕を行ったことで、予定通りお祭りを迎えることができました。まさにこれこそが、飾らずまっすぐな「荒」の心が形になった出来事であり、こうした人々の思いに支えられて、荒祭は今も昔ながらの姿で受け継がれています。
昨年の様子
例年、市内外から多くの人出があり、白装束の大集団が夜の焼津市街を練り歩く光景は圧巻です。初めて訪れた人からは「他の祭りとは迫力がまったく違う」という声も聞かれるほどで、「東海一の荒祭」の名にふさわしい熱気に包まれます。
開催概要
| イベント名 | 焼津神社大祭「荒祭」 |
|---|---|
| 開催日 | 2026年8月12日(水)神ころがし ・ 8月13日(木)神輿渡御 |
| 神輿渡御 | 8月13日(木)10:00出発〜23:00頃帰還(総距離6.5km) |
| 会場 | 焼津神社および焼津市内各所(御旅所4か所) |
| 住所 | 静岡県焼津市焼津2-7-2(焼津神社) |
| 参加費 | 観覧無料 |
| 問い合わせ | 焼津神社 054-628-2444 |












